from 北海道旭川の自宅オフィス

こんにちは!

コピーライターの林 孝治(はやし こうじ)です。

 

 

先日、友人からバドミントンの大会で3位を取ったと連絡を受けました。

しかも、上位リーグでの入賞でとてもすごいことです。

これまで上位リーグに進むために頑張ってきたことを知っていたので、

僕も自分のことのように嬉しく感じたの同時に、

「自分も負けじと頑張ろう!」と思ったんです。

 

 

 

………と、ここまでは良かったんです。

 

 

きっかけをもらったというか、やる気が出たというか、

いつもなら、とっても心地よく受け取って前へ進めたんです。

 

 

 

 

ただ、今回は何かが違ったんです。

なにかに違和感を感じて、

 

ラーメンを食べても、

本を読んでも、

シャワーを浴びて体をキレイにしても、

 

常に引っかかり続けてたんです。

 

 

ずーーーーっと考え続けて

やっとの思いで出てきた違和感の正体は、

 

「No.1と唯一無二、どちらが好き?」

 

でした(笑)

 

どちらが良い悪いとか、優劣という話ではないんですが、

“自分がどちらでありたいか”が気になったんです。

 

 

というのも、

 

音楽の場合、コンクールやコンテストのように

審査基準を設けて点数をつけて競うことはできますが、

それが絶対的な勝ち負けか、というと少し違います。

 

ジャズバーでセッションをしたところで

「あんたのアドリブがNo.1だ」と言われても、

その人の価値観や好みの話であって、

 

隣で座っているお客さんも同じようにNo.1をつけるかはわかりません。

 

だれかのNo.1になれても、

みんなが決めたNo.1にはなれません。

 

 

 

けれども、バドミントンやスポーツのような

勝負事はNo.1を決めることができます。

 

大小関係なく、大会で勝ち残った以上は、

間違いなくNo.1になれるわけです。

 

 

 

一方………

 

 

 

音楽に限らず、芸術や感性を表現するものにおいて

唯一無二になることができます。

 

「この音色は、XXさんの演奏だね」

「あの弾きグセは、XXさんのやつだ」

と言ってしまうこともあるくらいですから。

 

 

多少の好き嫌いはあるかもしれませんが、

唯一無二であることには変わりがないし、

だれかと比べる、という話でもなくなります。

 

 

言い換えれば、

芸術における唯一無二は、

その人を象徴する【勲章】のようなものなのかもしれません。

 

 

 

同じようにスポーツにもあるのかはわかりませんが、

唯一無二になれる”なにか”があったとしても、

試合で勝てなければ意味をなさないのかもしれません。

 

マンガに出てくるような必殺技とか、

その人しかできない技があり、

試合で勝てるのであれば唯一無二なんでしょうね。

 

 

そんなことを考えていたら、

「音楽でも、スポーツでも、

 なんでもいいから唯一無二と思えるものが欲しい」

なんて中二病ともとれることを思ってしまいました。

 

 

 

今日もブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

今、自分の置かれている環境で

No.1が必要なのか、それとも唯一無二が必要なのか。

 

それぞれで違うとは思いますが、どちらも共通して

感性や技術を向上させる「鍛錬」が必要なんだと思います。

 

その一つに、こうしてブログを書くことも僕にとっては、

唯一無二になれる大切な鍛錬なんだと思います。

 

 


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〜あなたらしい物語で、あなたを形にします〜
コピーライター/林 孝治

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