from 北海道旭川の自宅オフィス

こんにちは!

コピーライターの林 孝治(はやし こうじ)です。

今日は、僕が思ったことを衝動的に書きました。

 

 

10数年の付き合いになる友人から電話があった。
 
彼は本業の傍ら、
ピアノの先生としてレッスンを行なっているのだが、
どうやら生徒に言った一言が気になっているようだった。

 

僕もいろんなサックスの先生からレッスンを受けたことがあるが、

「この曲はこう弾くものだ」

という固定概念のようなものを言われることがある。

 

ある面で見れば、
それは正しいことなのかもしれない。

 

けれども、
「表現する」ということで言えば、
必ずしも正しいとは言えないと思う。

 

その一つに、曲の速さがある。

 

例えば、
『歩くような速さで』
と楽譜に書かれていることがある。

 

けれども、歩く速さとは、一体どれくらいのものなのか。

 

メトロノームには
『歩くような速さ(アンダンテ)=72』
と書かれている。

 

これはあくまでも、
共通認識するためであり、
一般化するためでもあるだろう。

 

 

が、しかしだ。

 

 

その速さで演奏された曲を聴いて
必ずしも心地よいと思えるかは、また別の話。

 

聴き方によっては、
早歩きに感じる人もいれば
すごくノロマに聴こえる人もいるかもしれない。

 

ましてや、

 

演奏する側が
「この曲は、この速さが心地いい」
と思っていない限り、

 

音を並べただけの演奏になる。

 

 

これは、文章にも同じことが言える。

 

文章にも「正しさ」
というものは存在する。

 

適切な表現かは分からないが、

 

小さい頃に学んだ国語の教科書の文章が
「正しい」とするならば、

 

SNS上で上がっているものは
「デタラメ」な文章となるだろう。

 

けれども、「デタラメ」の文章が
ときには人の心を打ち、行動させることがある。
 

どうして「デタラメ」な文章が人を動かしたのか。

それは、おそらく
自分の精一杯の表現で
自分の「心」を書いたからだろう。
 
 
「どうしてもこれを伝えたい」
という感情の赴くままに書き、
そのままぶつけたものだと思う。
 
 
それは、きっと
音楽と同じく「芸術性」を持ち、
ある種の心地よさを感じたんじゃないだろうか。
 
 
であれば、
正しさを追い求める必要があるのか。
 
 
必要なことでもあるし、
不必要なことでもある、
 

という答えになると思う。
 
 
兎にも角にも、しのごの言わずに、
まずはやってみることが重要なのだろう。
 
 
そして、最後に
このような貴重なことに
気づかせてくれた友人に心から感謝を申し上げます。


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〜あなたらしい物語で、あなたを形にします〜
コピーライター/林 孝治

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